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シナモン、ダメ、ヤッパリ

 インターホンを押すと、ぴんぽーん、と音がした。「Tさーん、きたよー」
 奥から足音が近づいてきて、ドアが開く。「Mちゃん、いらっしゃい」
「メリークリスマース!」
「おお、テンション高いなあ」
「だって今日はクリスマスなんだよ?」おじゃましまーす、と玄関に入って靴を脱ぐ。
「えーまあそうだけど、いまどきクリスマスなんて、カップルがいちゃつく口実みたいなもんじゃん」
 はああ、と溜息をつくTさんに続いて、部屋に入る。
「まあまあ。たしかに、街を練り歩くいくつものカップルを見ていると、片っ端から殴り倒してサンタクロース色に染めてみたくなるけど、そこはガマン、ガマン」
「けっこう黒い本音が漏れでたね」
「気のせいだよきっと」
「え、黒Mちゃん降臨じゃなく?」
「ちょっとTさん、そんな意地悪なことばっかり言うと、プレゼントあげないよ?」
「え、プレゼントくれるの?」Tさんがぱっと顔を輝かせる。
「ほらこれ、クリスマスプレゼント」持っていた袋を差し出す。
「わーいMちゃんありがとー。実はさっきから気になってたんだ。中身は何かな?」
「Tちゃんの好きなケーキだよ」
「え、マジで? なんのケーキ?」
「それは、あけてみてのお楽しみ」
「えーなんだろー。イチゴショートかなあ。もうあけていいの?」
「もちろん」
 屈託のない笑みを浮かべ、うきうきとしながら袋から箱を取り出す。無垢な瞳はプレゼントに釘付けで、隣に座る私の邪悪な笑みには気づいていない。
 そしてついにパンドラの箱は開かれた。
「じゃーん!」
「おおーっ」声を上げるTさん。その笑顔がだんだん疑いの色に染まっていく。「……え?」
 箱の中には、黄金色のリンゴが敷き詰められ、とろりとしたジャムで包まれた、すこし平べったい形のケーキがあった。端っこのクッキー生地がきれいなきつね色に焼けている。真ん中にはツリーが描かれた紙が刺さっていた。
「Tさんの好きなアップルタルトだよー!」
 私の声が大きく響き渡った。そして沈黙。暖房が入っているはずの部屋の空気が、徐々に凍りついていくみたいだった。Tさんの肩が小刻みに震えだしたのは、たぶん寒さのせいじゃないだろう。
「く……」
「く?」
「く・え・る・かー!!!」
「かー!」のタイミングで、ケーキが箱ごと放り投げられる。「ああ、もったいない!」私は稀に見る反射神経でもってそれを受け止める。ナイスキャッチ。
「Tさん、ひどい!」」
「ひどいのはどっちだー! そんなシナモンだらけの物体、食ったら死んでまうわー!」
「Tさんのために、特別にシナモン増量してもらったんだよ?」
「殺す気満々かよ!」
「ひどいTさん……私の愛情は、受け取ってもらえないの?」
「やかましい!!」
 しゃー、と猫のように威嚇する。
「……というのは冗談です」
「Mちゃんの冗談はタチが悪すぎるよ……」
 てへっ、と舌を出して見せる。即座に、てへっじゃねーよコンチクショウ、とツッコミが入った。
 リュックに隠していたもう一つの箱を取り出す。
「こっちが本命です」
「またシナモンじゃないよね」
 おそるおそる箱を開けるTさん。だいぶ警戒させてしまったようだ。けど、その警戒心も、箱の中身を見た瞬間に吹き飛んだ。
「あ、イチゴショートだ! わーい」
 ああ、なんていとおしい笑顔。降り積もったばかりの白い雪みたいだ。そこに思い切り靴の跡をつける。想像しただけでもうっとりとしてしまうその行為を前にして、私の心臓は高鳴っていく。
「しかもサンタがのってるよ! 小さいのにすごい凝ってるね」
 はしゃぐTさんの隣で、私は鞄から小さな瓶を取り出した。
「でも、仕上げがまだだよ」
「え?」
 ぱちんとフタを開け、流れるような動作で瓶の中身をケーキの上から振りかける。ケーキに積もった白い雪を、茶色い粉が蹂躙していく。Tさんがゆっくりと目を見開き、口を開ける。
 瓶を左右に五回往復させると、白かったケーキはまんべんなく茶色に覆われた。ぱちんとフタを閉じて、口を開けたまま茫然としているTさんに、瓶のラベルを見せつける。そこには言うまでもなく、シナモンの四文字が。
 Tさんは、驚きと悲しみをごちゃまぜにしたみたいな表情のまま、何も言わない。私は達成感と陶酔感に包まれながら、その様子を眺める。
「Tさん?」
 Tさんは、何も言わない。
「目が死んでるよ?」
「イチゴショート……」かすれた呟きが口から漏れる。「私のイチゴショートが……」
 Tさんの瞳の端から雫が頬を伝った。滂沱の涙を流しながらも、表情は固まったままだ。
 私はそこでやっと我に返る。しまった、やりすぎたかな。
「ご、ごめんねTさん。でも大丈夫だよ、瓶にはシナモンって書いてあるけど、あれはただのココアパウダーだよ」
 Tさんは、何も言わない。何も見ていない。
「Tさん? Tさん?」
 私はTさんの肩を前後に揺する。かっくん、かっくん、と人形のように首が上下する。手を離すと、そのまま崩れ落ちた。
 Tさんが壊れてしまった。私が、Tさんを壊してしまった。
「Tさん、ごめんね、ごめんね」

「本当にごめんなさい」
 洋食屋さんで向かいの席に座るTさんに頭を下げる。
 あれからTさんが回復するまでに二時間かかった。そのあとも怒ってしばらく口を聞いてくれなかったけれど、ホールのショートケーキとオムライスをおごることを条件に、なんとか許してもらえることになった。
 Tさんは、スプーンでデミグラスソースのかかったオムライスをつつきながら、疑うような目で私をにらんだ。それから「ふーんだ」と唇を尖らせる。
「いいよ、もう。私はプレゼント用意してなかったし」
「ありがとう」
 実のところ、Tさんをいじめることで得られた陶酔感が、私へのクリスマスプレゼントみたいなものだった。受け取ったというよりも、むりやり奪った感じだけど。そしてそのために支払われる対価は、けっこう大きいけど。
 そんなことを思っていると、ぴっとスプーンを突きつけられた。
「Mちゃん」
「はい、なんでしょうか」
「もう二度といじめない?」
「え? えーと……」思わず目をそらす。「それは……たぶん、無理」
「もー、Mちゃんきらいー!」
 彼女の心底嫌そうな顔に、筋金入りのドSの私は悶絶する。

 なにはともあれ、メリー・クリスマス。

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* 前に書いたの:シナモン、ダメ、ゼッタイ
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    シナモン、ダメ、ゼッタイ

    「それ、シナモン?」
     Tさんがドーナツを指差して言った。
     私はTさんの下宿先に遊びに来ている。目の前の小さなテーブルには、紅茶の入ったカップが二つ、お皿が二つ、それから私がミスドで買ってきたドーナツの箱が置かれていた。箱の中にはポン・デ・リングとフレンチクルーラーとハニーチュロ、それからたっぷりとシナモンが振りかけられたシナモンクルーラー。
     箱を開けたその瞬間から、Tさんの様子がどこかおかしい。背が高くて声が大きめの彼女は、頼りになるお姉さんタイプで、大学のサークルでもみんなのまとめ役になることが多い。いつも明るくて、ついさっきまでだって豪快に笑っていた。それが、今や見事に顔が固まっている。
    「まさかTさん、シナモンだめなの?」
    「う、ううん、別に、そんなことないけど」
     ふるふるふるふる、と必要以上に首を振ったあと、困ったように目をそらす。そんな彼女を見て、私のドSアンテナがぴんと反応した。ほほう左様でございますか。別にだめなわけじゃないと、そうおっしゃるわけですね。
    「そっか、よかった、苦手だったらどうしようかと思った」胸に手を当て、わざとらしく安堵の息をついてみる。Tさんの肩がぴくりと反応するのを見逃さない。
     するとTさんは突然、開いた左手をぶんぶんと左右に振り始めた。それから早口でまくし立てる。「でも、Mちゃんシナモン好きでしょ? だからシナモンはMちゃんにあげるよ。私、フレンチクルーラーとハニーチュロが食べたいな」
     いやまてそこ。逃げようとしたって、そうは問屋が卸しません。
    「そんな、遠慮しなくてもいいじゃない」素早く紙ナプをかけて、ドーナツをつまむ。用意してあったお皿の上にフレンチクルーラーとシナモンを並べて、Tさんの前にすすっと寄せる。
    「ほら、どうぞ召し上がれ」
     Tさんはシナモンをにらんだまま硬直していた。もしもこれがマンガだったら、頭に青い縦線引いて、影濃い目、冷や汗だらだらに違いない。私は自分の分をお皿に載せて、箱をテーブルの端に置いた。まだ動かないTさんに、「どうしたの? 食べないの?」と追い討ちをかけてみる。すると彼女は「ご……」と呻いてうつむいた。
    「ご?」
    「ごめん、無理! 嘘つきましたシナモンは無理です、においだけでもダメなのに食べるとかぜったい無理!」
     涙目で訴えてくる。いつもの朗らかな笑顔とのギャップもあって、なんとも嗜虐心をそそる。思っていたことが顔に出たのか、「Mちゃん、なんでニヤニヤしてるの」と恨めしそうに見られた。「ニヤニヤなんてしてないよ。気のせいだよ」とごまかす。
    「仕方ないなぁ」と言いながらシナモンを私のお皿に移す。ハニーチュロをTさんのお皿に置こうとしたら、こぼれたシナモンが気になるのか「置かないで!」と叫ばれた。
    「そんなにだめなの?」
    「うん」
    「ってことは、あれも? あの、京都の」
    「八ツ橋? だめ、ぜったいだめ。売ってるとこの前通るだけでも頭痛がする」
    「え、そんなに?」
    「うん」
     私がシナモンクルーラーをつまむと、Tさんは目を見開き、口をカッと開けて、威嚇する猫みたいな顔をした。構わず一口かじる。あとずさるTさん。じっと見つめてみる。
    「こっち見てニヤニヤしながら食べるの、怖いって!」
    「そんな、怖いなんて、ひどい! 別に何も企んでなんていないのに!」
    「ちょ、な、何を企んでるの」
    「だから企んでなんていないってば。ふふふふ」
    「嘘つけー! 笑いが怪しすぎるわー!」
     からかいながらドーナツを食べ終わる。Tさんは少し離れたところでこちらをガン見して、フーフーと息を吐いている。「ほら、もう怖いのはなくなったから、フレンチクルーラー食べなよ」と言うと、まだ警戒しながらも、こくりと頷いて近づいてくる。小さい犬か猫みたいだ。私の中で「可愛い!」という思いと「いじめたい!」という思いが絡まりながら暴走する。口元が緩みそうになるのを必死にこらえる。
     すると、ふいに人差し指を突きつけられた。びっくりして、思わず後ろにのけぞる。まさか、悟られた?
    「な、なに?」
    「唇の端、ついてる」
     指で拭うと、指の腹に茶色い粉がついた。
     チェック厳しいよTさん。そう言いかけたとき、私の脳内で渦巻いていた感情やら欲望やらが高く打ち上げられ、空中で弾け、光り輝いた。
     目の前では、Tさんが安心してフレンチクルーラーにかぶりついている。目を細めてドーナツを食む姿もまた愛らしい。Tさんと、自分の人差し指を交互に見る。私の口はもう、にんまりとした笑みを隠していなかった。彼女はそのことに気づかない。私は無駄のない動作で、光り輝いた思いつきを実行に移す。
     ぴと。
     Tさんの唇に触れる、私の人差し指を中心にして、時間が止まる。ゆっくり、ゆっくり、くるり、くるりと、世界が回る。にんまりと笑みを浮かべる私。何が起こったかわからなくて、食べかけのフレンチクルーラーをつまんだまま、とぼけたような表情の彼女。つながっている人差し指と唇、見つめ合う二人の瞳。くるり、くるり。私はさらに人差し指を突き出す。ゆっくり、ゆっくりと。半開きになっていたTさんの口に、するりと差し込まれる。かたい歯のさらに奥、やわらかく濡れた舌。その感触にうっとりする。
    「にゃああ!」
     Tさんの上げた叫び声で我に返る。永遠に思えた時間は唐突に終わりを告げた。崩れ落ちるTさん。私はそれを見てようやく、自分がとんでもないことをしてしまったことに気づいた。
     そばアレルギーの人はそばを食べると呼吸困難に陥ってしまうというのを聞いたことがある。Tさんもそうなってしまったのかもしれない。私は思わず呼吸と脈拍を確かめた。幸い、息はしていた。脈は少し速いような気がする。
    「ごめんね、Tさん、ごめんね」
     私はTさんのそばに座ると、膝の上に彼女の頭をのせた。Tさんは「ううー」と苦しそうに唸っている。
     下唇にまだ少しシナモンが残っていたので、紙ナプで拭う。唇は、押し付けられた紙に引っ張られてから、ぷるんと震えた。私の人差し指に、さっきまでの感触が蘇る。私の中で、悪魔が再び目をさます。
     この状態なら唇奪えるんじゃない?
     顔がほてっていくのを感じる。でも、それってTさんに止めを刺す行為に他ならないのでは? そうなったら、きっと私は歯止めが効かなくなっちゃうだろう。理性は抵抗する。そんなことは関係ないでしょ、だって見てよこのぷるぷるの美味しそうな唇を。これを目の前にして口にしないなんておかしいんじゃないの。悪魔が囁く。
     でも、でも、ともじもじしていたら、いつの間にか意識を取り戻していたTさんに白い目で見られた。
    「Mちゃん、今、なに考えてたの」
    「ううん、なにも考えてなんかいないよ、ふふふふふ」
    「だからその怪しい笑いをやめれー!」
     もうやだ、と半泣きになっているTさんに、私は悶絶する。

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