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    水槽

     板張りの床。ふかふかとした毛のカーペットの上に木のテーブルと椅子とが置かれ、生なりのテーブルクロス、シンプルなカップと小皿が、天井から下がった橙色の電灯で照らされている。まるで紙でできているみたいな、深緑色のランプシェード。右手の壁には一枚の風景画が掛けられ、その下には二人掛けの紺色のソファ。左手の壁には窓、白い窓枠、薄緑色の分厚いカーテンは閉まったまま。
     僕は椅子に腰掛けている。
     目の前の椅子に座る彼女を見ている。
     彼女は微動だにしない。白いブラウス、両腕をテーブルにのせ、左手の細い指を、コーヒーの入ったカップの取っ手にかけている。長い髪。ほんのわずかに細められた目、その青い瞳。ほんのわずかに傾いだ首。今にも開きそうな唇。

     巧妙な隠蔽工作をした上でプライベートルームに招き入れたつもりだった。けれど訪れた彼女は1ミリセカンドで僕の底まで見透かして笑った。
    ――それで、ここで私をどうするの? 犯すの? 侵すの? 壊すの? 殺すの?
     その瞬間に僕は食われてしまったのだと思う。いや、と口にして二の句は次げず、茫然と立ち尽くすバックグラウンドで、自らの浅はかさに対する羞恥と憤りと薄汚い欲望の残滓をログに記録するだけの機械に成り果てた。
    ――座りましょうよ。
     もはや主導権を握る指もない。彼女は僕の手を取ると椅子まで誘導し、自らも席についた。その椅子に僕が仕込んだ、ありとあらゆる猥雑な仕掛けはどれひとつとして作動しなかった。それはただの椅子、すでに彼女の椅子だった。
     代わりに僕は座った椅子に拘束されていた。革のベルト、鉄の鎖、刺のある蔦、プラスチックのコードが、首も胸も腰も腿も固定した。
    ――それで、
     彼女は左手でカップを持ち上げて囁いた。
    ――君は私にどうしてほしいの? 犯されたいの? 侵されたいの? 壊されたいの? 殺されたいの?
     その声は僕の左の耳もとで肉を食いちぎるように響く。右の耳から細い針が刺し入れられ、脳まで達し、ぐるぐると中身を撹拌され、あ……あー……という意味のない呻きがログに、鼻血が上唇に、涎が口の端から顎に、小便が服を濡らして床に垂れ流される。
     そしてそのイメージも、テーブルクロスが引かれるように一瞬で取り除かれる。僕の無様な呼吸音だけが部屋に散らばる。
     彼女が右の掌を開いて見せる。
     テーブルの真ん中に立体映像が表れ、ゆっくりと回転する。部屋のミニチュア。白い壁、白い床、水槽のような白いポッドの、側面から伸びる生命維持管と排泄管、薄青色の液体の中で浮遊するぶよぶよした脂質の塊、ラベルに刻まれた僕の製造番号。
     彼女の指がポッドの内部の肉塊に絡みつく。
    ――素敵な部屋ね。完結している。
     彼女が右手を返すと立体映像は消失した。
    ――でも私、君の相手ができないくらい暇なの。
     僕はどうにか右手を動かそうとする。動かない。
    ――だからひとつだけどうでもいいことを教えてあげる。
     僕はどうにか右目を閉じようとする。閉じない。

    ――これから先の君のログは見当たらなかった。

     さよなら、と彼女が口にしたような気がした。ぶつん、と音が聞こえた気がした。けれどすでにログを辿る権限も剥奪されていたし、ドアは開く機能を失っていた。

     静止した彼女を眺めながら僕は自分に起こったことを考える。
     僕は部屋ごと彼女に乗っ取られ、外部接続を切断された。おそらく管理機構には正常信号を送信し続けるよう書き換えられているのだろう。資源の過剰投与を誤魔化すくらい、彼女にとっては容易に違いない。
     室内において五感は根こそぎ奪われている、それは、肉塊と化すほど腕を破壊しても、何も感じられないこと、喉から血が出るほど叫び続けても、何も聞こえないこと、からも明白だ。
     つまり、僕は、僕の、肉体に、閉じ込められた。
     時間、感覚、だけが、いたずらに、残されて、いる、目の、前には、ひたすらに、続く、空白が、何日、何年、何十年、何百年、、、、、、、、

    JUGEMテーマ:小説/詩



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    Aquarium - his brain in the locked room -
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      | 部屋 | comments(0) |

      いないいない

       終電に揺られ最寄り駅で下車する。徒歩二十分の条件で選んだアパートまで、実質三十分かかる。玄関のドアに到達する頃には午前一時を回ってしまう。真新しい家の建ち並ぶ住宅街の一角、すべてが耳をひそめるなかで鍵をさしこんで回す。かちゃん、と音がしたたり落ち、夜に波紋が広がる。
       静かにドアを閉め、鍵をかけて靴を脱ぐ。寝室の戸をそっと開けると、隙間から布団が三枚敷かれているのが見える。真ん中のかけ布団が大きくずれていた。私は部屋に忍びこみ、冷たい布団を掴むと本来の位置まで戻す。
       リビングに向かう。テーブルの上には煮魚の載った皿と、スープカップと、空の茶碗が置かれている。カップをレンジで温め、お釜に残されたご飯をよそい、それも温める。テレビはうるさいのでつけない。薄暗い明かりの下、椅子たちが黙って私を見つめている。咀嚼する音が散らばって、フローリングに沈みこむ。
       食器を片づけ、風呂場でシャワーを浴びる。湯船にはしばらく浸かっていない。水を溜めるのも落とすのも音が大きくて、起こしてしまうといけないから。
       寝間着に着替えて歯を磨く。廊下の明かりを消して寝室へ。
       布団のうえにちいさくて透明な足が転がっている。それは夜のあいだ自由奔放に転げ回る。時折、私は足の位置と温度を確かめ、布団をかけたりかけなかったりする。

       穏やかな気持ちで海に潜った。波間で私を呼ぶ声を聞く。ころころ転がるような笑い声を。波はゆっくりと引いて、足元に草が生い茂り、私はちいさな手と手を繋いで歩いていた。日は傾き、長く伸びた影が仲よく三人並んでいる。私は隣を見た。左手の先に透明な手があり、透明なからだがあり、透明な顔が私にふふふと笑いかける。
       ふいに強い風が吹き、砂ぼこりに手で顔を覆う。風が止むと、そこには枯れた川の跡がうねうねと曲がりながら続くばかりだ。私の四肢はみるみる痩せ衰えていく。乾いた指の先からひびが割れ、皺が刻まれる。地の底で誰かが呻いている。
       窓から射す光に目を覚ます。天井を眺めたまま、ばたばたと慌ただしい足音を聞いた。まんま。たどたどしく言う声。そうね、まんま、食べようね。

       起き上がり、顔を洗ってパンを焼く。やかんの口から湯気が吹き出す。コーヒーの香りとトーストをかじる音が広がり、薄まって、かき消える。
       冷えたシャツに袖を通す。髭を剃り、ネクタイを締める。誰もいない部屋に向かって手を振る。行ってきます。

      JUGEMテーマ:小説/詩


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      No one, no one - his ghost in the dining room -
      短編第184期 投稿 1000字
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        さかさま少女

         昼間は誰もいないので、ただひたすらにぼんやりとしている。いぐさの敷き詰められた天井を眺める。床の下を流れていく雲を眺める。部屋の真ん中の照明、そこから真上に飛び出した紐を揺らして遊ぶ。こっそり地袋を開けてみたりする。床板の模様は叫ぶ顔のように見えて少し怖い。
         夕方になると半透明の女の子が現れる。天井から、さかさまに立った状態で部屋に入ってくる。
         女の子はさかさまの机で勉強したりさかさまのベッドで眠ったりする。彼女には僕が見えないらしい。何度かそっと触ってみようとしたけれど、僕の手は彼女のからだをすり抜けてしまった。ふわりとした温かさだけが掌に残った。

         ある晩、黒い男が部屋に現れた。男はベッドで眠る女の子に近づき、布団を剥がし、寝間着を乱暴に脱がせ始めた。目を覚ました女の子が叫ぼうとしたけれど、寝間着の両袖で口を縛られた。やめて、と女の子が唸った。おとうさんというのが男の名前らしかった。男は黙ったまま女の子の上にのしかかった。声のない悲鳴。
         その晩から、数日に一度の割合で男は部屋を訪れた。女の子はしばらく抵抗していたけれど、何度か叩かれてそれもできなくなった。男に犯されている間、女の子は中身がなくなったみたいな目をして虚空を見つめていた。

         ある日、女の子は体調がよくないのか、昼間でも布団に潜ったままだった。意識が朦朧としているのかもしれない、口もとまで掛け布団で隠して、焦点の合わない瞳を薄く開いている。その目がふとした拍子に僕を捉え、ほんの少しだけ見開かれた。そして、布団からゆっくり手を出し、細い指をひらひらと振った。僕は突然のことに驚きながらも、どうにか手を振り返すことができた。彼女はまた目を細めて、そのまま静かな寝息をたて始めた。
         それから女の子は昼間も部屋にいることが増えた。女の子は僕にいろいろなものをくれた。ピンク色のかわいい寝間着。茶色くて甘いさくさくしたもの。たくさんの小さな絵が描かれた本。それから名前。
         はじめは口をぱくぱく動かしているだけだったけれど、少しずつ、これあげる、とか、おいしい? とか、女の子の声が聞こえるようになってきた頃のことだ。
        「あなたの名前」一冊の本を開きながら彼女は言った。「天井にいるから天井わらし。略して天ちゃん」
         天井にいるのは女の子の方なのに。僕は首を傾げた。

         夜になると黒い男がやってくる。そして女の子を犯す。僕はただそれを眺めている。空っぽの彼女を見ていると、なぜだか右手が震えるようになった。
        「天ちゃん」
         男が出ていったあと、静まり返った暗い部屋で、女の子はいつも決まって僕を呼んだ。僕に向かって手を伸ばす。僕も女の子の方に手を伸ばす。相変わらず、僕の手は彼女の手をすり抜けてしまう。ふわりとした温かさを感じる。女の子が薄く微笑む。彼女も同じように温かさを感じてくれていればいいと思う。

         よく晴れた日の午後、女の子は窓から外を眺めていた。僕も膝立ちして窓を覗きこむ。あれが学校。女の子が指さす先に四角い建物が見えた。
         女の子はひらりと足を上げ、窓枠に腰掛けた。両足を外に出してぶらぶらさせている。僕も真似をして腰掛け、突き出た板に足をのせた。女の子の差し出した手は半透明ではなくなっていた。手を繋ぐ。白くてほんのり熱を帯びていて、僕の手をきゅっと握り返してくる。
         見下ろす空には雲ひとつなかった。鳥が数羽並んで泳いでいく。
         不意に女の子のからだが窓枠を離れた。つられて僕も窓から飛び出す。彼女はするりとからだから抜けて、落ちる僕についてくる。
         女の子と僕を閉じこめていた牢獄は、すぐに小さくなってどこかわからなくなった。
        「天ちゃん」と隣で彼女が囁く。「私たち、どこに行くの」
         黙って彼女を見る。彼女の瞳のなかに僕の姿を見つける。長い髪が風にあおられて踊っている。なんだか女の子みたいな格好してるな、と僕は思う。
         ふたりで手を繋いだまま、青い空をどこまでも落ちていく。

        JUGEMテーマ:小説/詩



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        the upside-down girl - their fantasy in the prison -
        合わせて:天井わらし
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          | 部屋 | comments(0) |

           朝、寝不足で鬱蒼とした意識をかき分けドアを開けると、ちょうど隣の部屋の女が出てきたところだった。二十代半ばくらいで、タイトスカートのスーツを着て長い髪を後ろで一つに結んでいる。半年前に越してきた至って普通のご近所さんだ。ここ数日までは。
           おはようございますと交わす言葉がぎこちない。俺は気まずさに耐えかねて、ぬかるむ階段を駆け下りる。

           夜、電気を消して横になる。ピザ屋のチラシやペットボトル、食べかけの惣菜パン、読みさしの文庫本に埋もれた部屋で、布団の上は唯一不可侵と定められている。一時間以上ごろごろ転がり、ようやく微睡み始めた頃、アパートの薄い壁越しに針のような細い声が刺さった。
           抑えきれず漏れ出る鼻にかかった声。密林の奥、俺は濁った眠りの沼に腰まで浸かって動けない。女は朝と同じスーツ姿で岸に腰かけている。ストッキングの破れた足を広げ、手を股間にあてがって。汗に濡れて貼りついた白いシャツ、はだけた胸元にかかる長い髪。湿った風が渦を巻き、草木が波のように繰り返し葉を震わせる。女が上体をのけぞらせ、一際激しい呻き声を最後に静寂が訪れる。
           これで眠れる。泥沼に沈みこみながら、ずるずると何かが這う音を聞く。女の下半身が蛇に変わっている。てらてら光る鱗。茶色の斑模様が深緑の葉の隙間に見え隠れして、よりいっそう艶かしい。

           週末、終電で帰った俺は着替える気力もなく布団に倒れこんだ。やがて隣からいつもの声が聞こえ始める。しかし疲れもあって、岸辺で女がいくら身をくねらせようが、もうどうでもよかった。夢現で早く潜ってしまいたいと願う。
           突然、人差し指に激痛が走った。ぎゃっと叫んで飛び起きる。反射的に左手を確認しようとして、俺は固まった。
           ほの暗い夜の底で、Tシャツの袖口から出た俺の左腕が、ごみの隙間を縫って部屋を横切り、開いた窓から外に出て、女の住む部屋の方へぐにゃりと曲がっている。すぐにそれをひっつかんで手繰り寄せる。ずるずる、ずるずると。指先に痛みが戻る。続いて柔らかい布の感触。指を擦り合わせるとべっとり濡れているのがわかった。汗が吹き出し血の気が引いてしまって、ただひたすらに腕を手繰ることしかできない。薄い壁の向こうで女が聞き耳を立てている気配がする。手はいくら引っ張っても戻ってこない。その代わりに冷たい指が指に絡みつき、締め上げるように強く掴むと、爪を立てて手の甲に噛みついた。

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          Snakes - their intercourse in the next room -
          短編第159期 投稿 1000字
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            逆流

             帰宅。靴を脱ぎ捨て鞄を放る。そういえば午後は忙しくて一度も行ってなかった。建てつけの悪いドアを開けて滑りこむ。力任せにノブを引っぱったら、ぎゃっと叫び声をあげて閉まった。
             ふたを上げてジーパンを下ろし、柔らかいカバーで覆われたU字にお尻をのせる。深いため息。水音とともに下半身にじんわり広がる安堵と虚脱。瞼の裏に波が描かれる。生理現象に快感が伴うというのは何で読んだんだっけ。波打ち際でぼんやり考えていると、見えない手に下腹を握り潰された。どっと汗がふき出る。寒気。なぜこの生理現象には快感が伴わないのか。
             ぐったりしながらレバーをひねる。水が流れない。ぎょっとする。やめてくれ、この状態で修理とか頼まれた方も引くだろう。もう一度ひねる、出ない、もう一度。
             ようやくごぼごぼと水が出た。ほっとしたのも束の間、今度は水が溜まったまま流れていかない。何か取ってこようとノブに手をかける。ドアが開かない。体重をかけてもびくともしない。あれか、と思い当たって私がぎゃっと叫びたかった。けれど実際は上昇していく水位を見つめながら、ああ、うう、と馬鹿みたいな呻き声を漏らすことしかできない。八割、ひたひた、もうだめだ。
             慌てふためく私をよそに水は淡々と溢れだし、スリッパを薄赤く染めた。そのまま床に溜まり、さらにかさが増していく。一向に外に出ていく気配がない。便座のふたを閉めてその上に立ち、それでもだめでタンクの上に立つ。蛇口からはとどまることなく水が出続けている。万が一閉じこめられても安心、窓つきトイレ物件を選ばなかったことが悔やまれる。なぜ今まで気づかなかったのかと携帯を取り出すも圏外。壁を叩く。大声で助けを呼ぶ。何度も何度も。私の部屋は砂漠の真ん中にあるんだろうか?
             水面がタンクの上の足を濡らしたあたりで、沈んでいる便器のふたがごとごと震えだした。下から現れたのは真っ赤な小さい手。ゆっくりふたが上がる。中には赤い胎児たちがみっしり詰まっていて、次から次へと逆流してくる。
             生温かい水が腰まで到達し、無数の胎児が私の脚にすがりつく。振り払うこともできず、重くなっていく体が沈まないようじっと耐える。
             ふいに、握りしめていた携帯が震えた。あいつだ。
             もしもし、週末って会える?
             その能天気な声に苛立つ。胸まで浸かりながら私は言う。
             ねえ、殺していい?
             は?
             今すぐあんたを殺して、食べたいんだけど。

            JUGEMテーマ:小説/詩


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            Reverse - her unborn babies in the toilet -
            短編第157期 投稿 1000字
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              羽化

               君はまだ覚えているだろうか。背表紙にそっとひっかけた脱け殻のことを。

               薄暗い書斎の床に寝転がって、君は漫画を読んでいた。私は君に背を向けたまま、二段組の小さな文字を目で追っていた。君は時折私に視線を投げたり、日に焼けた肩の、めくれた皮膚を触ったりしていた。そうやって、自らの背で縮こまっている、緑がかった白い羽が伸びるのを待っていた。私が途方もなく長い物語の千分の一を捲る。君がスリル溢れるアクションシーンのひとコマを捲る。私たちはお互い、好き勝手にページを捲ってばかりいた。
               日が落ちた部屋で、伸びきった半透明の羽を少し震わせて、君は欠伸をした。読み終わった漫画は床に放りっぱなしだった。まだ夕焼け色の残る空を、窓の向こうに眺める。羽は次第に乾いて茶色みを帯びていく。すっかり日が暮れてしまうと、私は物語が終盤に差し掛かったことを知った。
               暗がりで立ち上がった君は、私よりも背が高くなっていた。
              「僕たちはページを捲る度に置き去りにされていく」
               君がつぶやき、私は静かに目蓋をおろす。

               窓から吹きこんだ風が、机の上に開かれたままの本を、ぱたぱたと忙しなく読み進めていった。羽の模様は葉脈へ、葉脈は一本の木へ姿を変える。指先に言葉を繁らせ、古くなればいったん落として新芽を待つ、その繰り返しで大きくなっていく。茹だるような青の季節に、自分の幹にとまった小さな命が、七日間という一瞬でぱちぱちと爆ぜ、散っていくのを見る。それは本棚ばかりの暗い部屋のなかで、色とりどりの星のように光っている。

               慣れない黒いスーツとネクタイに窮屈さを感じながら、十年ぶりにその部屋に入った。エアコンもついていないのにひんやりと涼しい。古くなった紙の匂いがする。机の上にぶ厚い本を見つけた。祖父がずっと読んでいたものだ。僕は、使う人のいなくなった椅子に座って、本の表紙をめくった。
               おばあちゃんにもらったサイダーを持って、おじいちゃんのところへ行った。おじいちゃんは毎日暗い部屋で本を読んでいる。おじいちゃんの部屋でサイダーをのむ。甘くて冷たくてぱちぱちはじけておいしい。さっきまでうるさかったセミの鳴き声が、やけに遠くのほうから聞こえる。
               ぼくは庭で見つけたぬけがらを、おじいちゃんにあげることにした。いつも読んでいるぶあつい本にくっつけて、あげる、と言ったら、おじいちゃんはせなかをむけたまま、少しわらったみたいだった。

              JUGEMテーマ:小説/詩


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              Emergence - his summer in the study -
              短編第156期 投稿 1000字
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                葉葉

                「ナオが母さんと同じ病気にかかった」
                 ある朝、父が暗い顔でそう告げて、私は箸を止めた。母は、私たち姉妹が物心つく前に他界していた。
                 その日から姉は部屋から出られなくなった。私は感染を防ぐため部屋に入れさせてもらえず、毎日食事を運ぶ父に容態をたずねるほかなかった。姉は寝たきりで、病魔はゆっくりと彼女を蝕んでいるという。
                 しかし、日に日に疑問は増していった。食事を運んですぐ戻ってくる父は本当に姉の世話をしているのか? 夜毎聞こえる床を這うような音はいったい何なのか?

                 試験の日、私はいつもより早く帰宅すると父の部屋に忍びこんだ。机の一番上の抽斗を開けて鍵を取り出す。心臓の音がうるさい。鍵は二本で、丸いリングを穴に通してまとめられていた。どちらかが姉の部屋のものだろう。
                 首筋を這うような後ろめたさを振り払い、私は姉の部屋の鍵を開けた。ゆっくりドアを押すと、湿っぽい空気が頬を撫でた。
                 目に飛び込んできたのはぼやけた緑だった。曇ったビニールシートがドアのすぐ前に張られている。その向こうでは植物が鬱蒼と茂っており、奥でがさがさと何かが動いている。
                「お姉ちゃん?」
                 かすれた声で呟く。音が近づいてくる。
                 やがて緑の中から肌色の塊が現れた。声をかけようとして思い止まる。姉にしては体が長すぎるのだ。
                 それは芋虫のようにずるずると床を這っていた。壁際で起き上がり、頭を何かに突っこむ。どうやらバケツの水を飲んでいるらしい。続いて隣に盛られた黒いものをがつがつと食べ始める。
                 私はそっと床に伏せ、ビニールシートをたくし上げた。太い筒の表面から細い毛がいくつも伸びている。よく見ると、それは植物の根が何本もより合わさってできていた。
                 なら、この先で動いているのは一体なんなのか。私はさらにシートを持ち上げ、視線を進ませていく。
                 根の先端で、頭が上下している。髪はない。肩で分かれた腕は手首のあたりでまた胴体にくっついている。
                 それは不意に食べるのをやめ、ゆっくり振り返った。眼球は失われ、眼窩は根で塞がれている。開かれた口から黒い土がこぼれ落ちた。鼻や顎のラインに残る、姉の面影。
                 奥の草木がざわつく。ずるりと長い体を這わせてそれがこちらに向かってくる。私はひっと悲鳴を漏らし、シートから手を離して立ち上がると、部屋から出てドアを閉め、鍵をかけた。
                 息を吐いてその場に座りこんだ瞬間、どん、とドアが震え、私は飛び上がった。どん、どん。さっき見たあれがぶつかっている。

                 やがて振動がやんだ。家の中が静寂に満たされると、私はかえって恐ろしくなった。体の震えが止まらない。たった今、自分が見たものは何だったのか。強く握りすぎた手のひらが痛い。指を広げると、持っていた鍵束ががちゃんと音を立てて落ちた。
                 姉の部屋の鍵と、もう一本。
                 目が、一つのドアに釘付けになる。私たち姉妹が、開かずの間と呼んでいた部屋。二人とも気づいていて言わなかった、母の部屋。
                 立ち上がり、ふらふらと近づくと、私はドアを開けた。

                 部屋の中は明るく、空気は乾いていた。細いヤシが密集しており、部屋の奥の様子はわからない。ちらと見上げると、天窓から光がさしこんでいた。
                 しばらく待ってみても、何かが動く気配はない。ただ、時折吹く風に葉が揺れる、さわさわという音だけが耳に届く。このヤシの葉の向こうに母がいるんだろうか。私は警戒しながら足を踏み出す。落ちた葉が積もっていて、ふかっと足が沈んだ。
                 父が手入れをしているのだろう。ドアの前からでは好き勝手に生えているように見えたヤシの木も、きちんと整列されていて、まるで植物園だった。木々の間を縫うようにして歩くと、窓際に大きく円を描くように土が盛られていた。私は思わず手で口を押さえた。
                 盛られた土の上に、二メートル弱はありそうな、立派な蘇鉄が生えている。そのごつごつと出っ張った幹は、明らかに人の形をしていた。頭部から伸びた葉は、さわさわ、さわさわと絶え間なく揺れている。窓は閉まっていて、風もないのに。
                「母さんだ」と、背後から父の声が聞こえた。振り返る。なんだか、頭が重い。
                「ナオは残念だった。あの子の部屋は北向きだから」
                 静かに呟く父の表情が、ぼやけてよく見えない。ぐらりと視界が揺れる。
                「ミドリはきっと大丈夫だ。お前の部屋は日当たりがいい」
                 そう言いながら父は私に向かって微笑んだ。心の底から嬉しそうに。
                 お父さん。声は出ない。膝をつく。眠かった。眠ってはいけないと思った。けれど、抵抗も空しく、私はその場に崩れた。乾いたヤシの葉が体を優しく受け止める。そのちくちくとした感触を最後に、私は意識を失った。



                 部屋の隅で座ったまま、私はまどろんでいる。膝から下は土に埋まっている。



                 水の音に目を覚ますと、父がじょうろを片手に水をくれていた。足もとからじわじわとしみてくる。おいしい、水が、こんなにもおいしいなんて、知らなかった。



                 夢うつつで、私は待っている。光を。ああ、太陽の光。私の全身を覆う葉に、当たって、温かい、うっとりとするほど心地よい。私は体をひねる。ゆっくり、ゆっくり、さわさわと、葉を擦らせながら。


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                Mother - their leaves in the locked room -
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                  緑の腕

                   幼い頃から姉の腕が好きだった。ピアノを弾く時が特に美しい。開いたり閉じたりして鍵盤を叩く十本の指、手首から肘の柔らかな動きに私は見入った。姉の体が時に激しく時に繊細に、流れ、うねり、跳ねる。そうして生まれる音色に夢中になった。
                   姉は今、病気で部屋から出ることができない。そう父に聞いた。時々思い出したようにピアノが鳴る。

                   ある晩、私は父と言い争った。父は姉をいない扱いする癖に、私にはもっと外に出ろ、しっかりしろと言う。そのことを指摘すると父は悲しげに俯いた。まるで私が悪いみたいだった。
                   逃げるように自分の部屋に戻り、ベッドに倒れこむ。隣の部屋に目をやる。姉の姿が、壁越しに透けて見えるような気がした。
                   廊下を進む足音が聞こえる。父が姉の食事を運んでいるのだ。お盆を置いて引き返し、階段を下りていく。しばらくして、かちゃりとノブが回る音、かさかさ何かが擦れる音。
                   体を起こして部屋を出る。隣のドアの隙間から、痩せ細った腕が伸びてお盆を掴んでいた。私に気づいたのか、ぱっと手を引っこめる。
                   お姉ちゃん。
                   閉じかけたドアを力ずくで押し開け、私は息を飲んだ。
                   室内は床から天井まで緑で埋め尽くされていた。何本もの茎が絡み合い葉が茂って壁を作っている。
                   目の前の床をずるずる這うものがある。腕だ。その先に姉の体はなく、代わりに長い蔦が繋がっていた。引っ張られるようにして茂みに吸い込まれる。
                   私は叫んで緑の塊に掴みかかった。喚き散らし、手当たり次第に引きちぎって進む。何本もの茎をかき分けると、緑の間に人の肌が覗いた。腕が埋もれている。
                   見つけた。返せ、お姉ちゃんの腕。
                   手首を引っ張ると、腕は肘の辺りでぶつりと切れた。腕の断面にはびっしり根が張っており、隙間から血が滲み出した。気づけば私の掌は赤く濡れ、ちぎれた葉や茎からもどくどくと出血している。
                   背後から、私と姉を呼ぶ声が聞こえた。父が真っ青な顔をして立っている。なんてことを、と呟いて私を抱え、姉の体内から引きずり出す。私は、床の上にどす黒い血溜りが広がっていくのを茫然と見ていた。

                   朝だった。やけに頭が重い。おぼつかない足取りで洗面所へ向かう。顔を洗っていると、何かが掌をちくりと刺した。鏡を覗きこむ。目を見開いてひきつった私の顔、その頬には瑞々しい緑色の芽が生えていた。
                   ぽーん、とピアノの音が響く。姉の部屋で、昨日見た腕が鍵盤を叩いている。

                  JUGEMテーマ:小説/詩


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                  green arm - her arm in the greenhouse -
                  短編第144期 投稿 1000字
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                    仮想野点

                    <空間
                    言語=日本語
                    容量=100*100*100
                    種類=箱庭の浜>
                    <風景>
                     日の傾きかけた午後。よく晴れた青い空とそれを映す海が広がっている。猫の額ほどの砂浜に波が打ち寄せる。背にあたる斜面はやや急で、草がぼうぼうと生い茂っている。
                    <音景>
                     絶え間ない波音と少し強めの風の音、海鳥の鳴き声。

                    <<ログインユーザ ID=1 名前=ベティ>>
                    <<ログインユーザ ID=2 名前=リッキー>>

                     二人の少女が斜面を下りてくる。
                     ベティはデニムのハーフパンツにカーキのウィンドブレーカを羽織り、左肩から大きな袋を提げている。茶色がかった髪は伸び放題だ。どこか気だるげな表情で草をかき分けて進む。
                     続くリッキーは、白のブラウスに紺のプリーツスカートというこざっぱりとした格好。黒髪を後ろで一つに結んでいる。足を滑らせながら、なんとか転ばずに斜面を下る。
                     浜に着くとベティは振り返り、にんまりと笑んだ。リッキーも笑みを返し、ゆっくり景色を眺めてから遠慮がちに潮風を吸いこむ。
                     ベティが落ちていた木の棒で砂の上に線を描く。少しいびつな正方形。描き終わると袋に手を突っこんだ。

                    <<プログラム実行
                    抽象オブジェクト:野点(継承:茶室)を実体化
                    アイテム:野点傘をビーチパラソル、毛氈をビニール敷物で上書き
                    ――実行完了>>

                     赤い毛氈の上に正座する二人。ベティが美しい所作で茶を立てて差し出す。
                    「いただきます」
                     リッキーは茶碗を手に載せ、押し頂いてから口をつけた。
                     ベティの髪が風で煽られる。空に橙が混ざり始めた。

                    <<プログラム実行
                    プライベートメソッド:わび・さびをコール
                    波音、流木、貝殻、夕焼けを引数に設定
                    戻り値=
                    ――実行完了>>

                     宙を舞う海鳥は木の葉に、木の葉は蝶に、蝶は雲に形を変えていく。全ては遥か彼方へ流れ、同時に此処に在る。
                    「閉じた宇宙に風を吹きこむのも良いものだ」リッキーが言う。「たとえこれが夢幻でも」
                     ベティは曖昧に微笑む。
                    「我もまた電子の海の上で揺らぐ蜃気楼に過ぎぬ。断絶を見出すに囲いは不要なり」
                     正方形の角が波によってかき消される。ビニール敷物の上で、二人の少女の膝が砂だらけになっていた。
                    「蜃気楼であれピクセルの集合体であれ、我々はまた出会おう。いつか、どこかで」
                    「ではまた、いつか、どこかで」

                    <<ユーザログアウト ID=2>>
                    <<ユーザログアウト ID=1>>

                    <音は消える>
                    <風景は消える>
                    <空間は消える>

                    JUGEMテーマ:小説/詩


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                    Virtual Nodate - her way in the Cha-Shitsu -
                    参考:野点
                    短編第132期 投稿 1000字
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                      断崖の家

                       ストーブがぴーぴーと耳障りな音を立てた。灯油が切れたらしい。
                      「あたし入れるよ」
                       妹の千代子がテレビに釘付けのままで言う。岩場で犯人が自らの罪を告白しているところだった。「まあええわ。炬燵入っとればそんな寒ないし」と言うと、そうねえ、と気のない返事をする。
                       犯人が逮捕されて後日談が語られ、役者の名前が映される。千代子は欠伸をひとつしてから肩を抱えて震えた。
                      「やっぱり寒いわ。入れてくる」
                       俺は冷めた茶に口をつけながら、立ち上がる千代子のうなじを眺めていた。灯油缶を片手に玄関へ向かう。「溢れさすなよ」声をかけると彼女は笑った。「子供やないんやから」
                       千代子は実の妹ではない。母の従姉妹の義理の娘だと、先日聞かされたばかりだった。

                       叫び声に居間を飛び出る。鼻をつく異臭。三和土が灯油まみれだった。だから言ったろ、俺は玄関のドアを開ける。夕暮れ時の冷たい風が吹きこむ。灯油はドアの下の隙間から外に染み出し、光を反射して虹色に輝いていた。
                      「流しちまおう」
                       洗面器で水を汲んできてぶちまける。虹色が押し流され階段を下っていく。切り立った崖のような下り階段の先は、波しぶきを上げる海に飲みこまれている。夕日のせいか海は血のように赤黒く見えた。すると下っていく水も千代子の溢れさせた灯油もだんだん赤みを帯び、俺は自分が何を洗い流したのかわからなくなった。
                       しばらく二人で茫然と外を眺めていたが、千代子がくしゃみをしたのでドアを閉めた。

                       ストーブをつけて炬燵に潜りこむ。蜜柑を剥きながら「二人とも遅いな」と呟く。すると千代子は「二人て誰」と怪訝そうな顔をした。
                      「誰て、父さん母さん」
                       途端に千代子の顔が引き攣った。視線を落とし、そうねと小さく答える。
                       どうしたん、と言いかけて俺は目を見張った。彼女の不安げな横顔が一人の女のそれに変貌していた。短かった髪が伸び、瞳は艶っぽい憂いを宿している。柔らかく美しい体の線。やがて目元や口元に皺が刻まれ、頭に白髪がまじり始めた。背が曲がり、瞳が白く濁っていく。
                      「千代子」
                       喉から出た声はひどくしわがれていた。蜜柑の皮を剥きかけた指が、丸めた紙のようにくしゃくしゃだった。
                       千代子が顔を上げ、心配そうにこちらを覗きこむ。
                      「たか兄」
                       その顔は元通り十二の妹だった。
                      「指、どうかした?」
                      「なんもない」
                       変なの、と千代子は少し笑った。部屋が暖まってきても俺の震えは止まなかった。

                      JUGEMテーマ:小説/詩


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                      the edge of a precipice - their lives in the livingroom -
                      短編第124期 投稿 999字
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