Page: 1/8

黄桃

 涼しげなガラスの器に盛りつけた、ドーム型の黄桃をフォークで刺す。あなたにもらった缶詰の黄桃。ぐにゃりとした抵抗があり、少し力をこめるとぶつんと貫通する。そのままフォークが抜けない。持ち上げてひっくり返してみると、まんなかの窪みに小さな肉色の蜥蜴。丸まった体勢で、四つ並んだ矛先の一本に胴を貫かれている。幼いころ家で見た人体についての図鑑を思い出す。もしくは高校の理科便覧に載っていた細胞分裂の図解。これは胎児、でも、誰の子どもだろう? 親指の先くらいの遺体を丁寧に取り除き、念のため触れていた黄桃の内側も削ぎとって、フォークを洗う。オレンジ色の胎盤とともに皿の上に摘出されたからだ、そこから突き出た手足としっぽ、ぶよぶよとした頭についている目らしき器官をしげしげと眺めながら、削いだ桃の残りの部分を切り分けて口に運ぶ。甘かった。


 次の週末に街を歩いていたら、あなたにばったり会った。やあ、とあなたは眠そうに片手を上げ、私はああとか何とか適当な返事をした。お茶でもどう、と言うので一緒に喫茶店に入る。白いシャツに黒いエプロン姿の青年に、アイスコーヒーと温かい紅茶を頼む。

「このあいだはどうも」と私は切り出す。

「このあいだって?」

「桃を」

「ああ」

 あなたは、そんなこともあったな、と言いたげな視線を斜めに投げた。カウンターの向こうでマスターがコーヒーを淹れる様子を眺めているのかもしれない。

「あの桃だけど」

「いや、悪かったね」

「え?」

「びっくりしただろう」

「うん、それは、まあね」

「俺にもよくわからんのだけど」

「うん」

「家内がね、どうしても送れって」

「奥さんが?」

「ああ。帰ったら突然、箱を出してきてさ」

「あの桃、奥さんが買ったんだ」

「そうみたいだな。俺も、なんで急にって聞いたんだけど、とにかく送れの一点ばりなんだよ」

「今度、何かお返しを」

「いい、いい。お中元ってわけでもないし」

「そうなの?」

「お中元なら缶詰じゃないんじゃないか、よく知らないが」

 エプロン姿の青年が近づいてきて、コーヒーのグラスと紅茶のカップを置いた。ごゆっくり。あなたはおもむろにストローを摘まんで引き抜くと、グラスを満たしている黒い液体のなかにするりと入りこませる。いつも思うことだけど、誰かがストローで飲み物を飲むとき、音もなく水位が下がっていくのを見るのは少し面白い。

 カップに唇を当てると、砂漠を吹く風のようなざらりとした香りと、丸く削られた岩の甘みが広がった。温かい紅茶が喉を流れていく感覚は、熱をもったからだによく馴染んだ。

 それからは二人とも一言も交わさなかった。店を出て、暗くなり始めた街を歩きながら私は言った。

「桃、実はもう、いただいたの」

 そうか。あなたが返事をしたような気がしたけれど、それは気のせいだったかもしれない。あなたは私を見ていなかったし、声も届かなかったから。

「おいしかった。ありがとうって、奥さんに伝えて」

 するとあなたはぴたりと足を止め、蔑むような、得体の知れない、異物を見るような目つきで私を見た。宵に沈んでいく街のなかで、その二つの眼だけがぎらぎらといつまでも光っていた。


JUGEMテーマ:小説/詩


* リスペクト:『桃』


0

    | 一話完結 | comments(0) |

    リンク切れ

    「夢を見ていた」
    「違う」父が言う。「夢を見たという記憶を植えつけられた」
    「どう違うの」
     坂の上の廃墟から街を見渡す。薄青い靄が地面を這い、黄金色の朝焼けが傾いた塔の先端を温める。大通りは少しずつ照らし出され、その上にビルの影が長く伸びている。
    「箱を持っていた。とても綺麗な箱なんだ。青い石が渦巻き模様に埋めこまれていて」
     鳥たちが鳴いて、それで? と続きを促した。
    「箱を開けると中には、赤い宝石とか、金の星形とか、緑の骨とか、誰かの横顔が表紙に描かれた小さな本、消えたり現れたりを繰り返す布なんかが入っていた」
     どこかで犬が吠えて、それから? と続きを促した。
    「それから、穴みたいに黒い角砂糖がいくつか」
    「それはリンク切れだよ」と父が言う。
    「リンク?」
    「オブジェクトを引用していたんだろう。ネットワークが切断されて置き換えられたんだ」
     鳥は黙り、犬も黙り、私も口を閉じた。風の吹きすさぶ音だけがフィルタ越しに聞こえる。
    「かつて、ものを手元に集めて持っておく文化があった。美しいもの、貴重なもの、思い出深いものを」
    「持っておいてどうするの」
    「持っておくだけさ。たまに見返したりする。それらが自己を構成する要素だと信じていたのかもしれない」
    「自分じゃないのに?」
     廃墟から出る。大昔に飛び散ったままの硝子の破片を、シェル・スーツの分厚い靴底でざりざりと踏みしめる。
    「箱の持ち主はリンク切れになることを知っていたのかな」
    「もちろん。遅かれ早かれ、皆いつかなくなる。だから集めるという考え方もある」
    「そんな理由は嫌だな」
    「集めたいものがあるのかい?」
     東から明けていく空は視界に収まりきらないくらい広い。浮かぶ雲を捕まえることはできない。風は遠くまで速く走っていける。石はたくさんのことを知っている。
     私はかぶりを振る。ほしいものはひとつだけだ。ずっと前から決まっている。
     それは違う、と奥底から声が囁く。植えつけられた記憶。私も切れたリンクなのでは? 黒い角砂糖が積み重なって殻の内側を蝕んでいく。
     そうだとしても、何がどう違うのだろう。
     メットに朝陽の指が射しこみ、目を細める間もなく光量が調節された。ほの暗い予感にふたをして訊ねる。
    「父さんは何を集めていたの?」
     返事はない。あたりはすっかり明るく照らされ、見渡す限りのリンク切れが広がっている。私は見えない箱を抱え、黙って歩き始める。夢を見ている。

    JUGEMテーマ:小説/詩


    *

    関連作品:『生痕化石』
    短編第175期 投稿 1000字
    0

      | 一話完結 | comments(0) |

      春を思う

       大寒波の底で春を思っている。騒がしさが苦手だ。閉めきった部屋のなかで芽吹く観葉植物くらいでちょうどいい。百も乱れなくていい。ほっと灯ったランプの明かりくらいの暖かさで充分だった。
       気難しい少年相手に約束ごとが増えていく。捲し立てるように話さない。相槌を打つ。一度黙ってしまったら、向こうが口を開くまで待つ。視線をそらさない。
       外では雪が散っている。窓から空を見ると、そのまま白く吸いこまれていきそうだ。雪は奪う。温度も、音も、魂も。少年は服を三枚重ね着した上にコートのファスナーをきっちりとしめ、靴下も二枚重ねで履いていた。うさぎの耳のついたふわふわの帽子をかぶって、私の貸したマフラーで首の回りをぐるぐる巻きにしている。この部屋には暖房がない。
       真夜中、ベッドのなかで縮こまっていると窓の外に列車が到着した。少年は眠たい目を擦りながら乗りこんだ。窓から窓へ。お互いに一言もなかった。列車が動きだし、彼の顔はすぐに見えなくなった。雪が吹きこむのにも構わず、窓を開けたまま列車が小さくなっていくのを見送る。白い空に吸いこまれていくのを。
       翌朝目を覚ますと、長らく黙っていた鉢植えが言葉を発した。最初は黙って聞く。相槌を打ち、わずかな土から顔を出した芽をまっすぐ見る。窓の外の雪はきっと止んでいるが、この部屋には春は来ないだろう。私は、少年が残していったマフラーを植木鉢にぐるぐると巻いた。

      JUGEMテーマ:小説/詩



      0

        | 一話完結 | comments(0) |

        かんむり座

        「かんむり座」
        「なに?」
        「春の星座」と彼女は歌うように言った。
        「むかしむかしクレタ島という島にミノタウロスという怪物がいました」
        「牛の人だね」
        「うしのひと」
        「それで?」
        「それを勇者が退治しました」
        「鉄砲で撃ったの?」
        「煮て焼いて食ったかも」
        「ずいぶん野蛮な勇者」
        「その国の王女が勇者に恋をしました」
        「怪物を食うのに?」
        「しかし結局二人は離ればなれになってしまいます」
        「目が覚めたんだ。本当の怪物は勇者、あなただったの」
        「王女はひどく悲しみました」
        「なぜ私は怪物を好きになってしまったのかしら」
        「その様子を見ていた酒の神様が、王女を元気づけようと、美しいかんむりを送りました。そして王女を自分の妃に迎えたのです」
        「え、唐突?」
         それがかんむり座の神話、と彼女は締めくくった。なんかもやっとするね、と私は言った。煮て焼いて食う脚色はさておき、王女はかんむりをもらって酒の神のことを好きになったのだろうか。
        「それで」と彼女が視線を落とす。「ここにあるのが、そのかんむり」
         それはテーブルの上に無造作に置かれていた。古いものであることはわかる。持ってみると予想していたより重たい。黒ずんだ肌はかつて滑らかな金だったのかもしれないし、真ん中にはまっている大きな宝石ももっと澄んでいたのかもしれない。
        「どうするの?」
         尋ねると、彼女は少し恥ずかしそうに頭を下げた。その仕草にどきりとしつつも、私はかんむりを掲げ、恐る恐る、まとめられた髪を包むようにのせる。顔をあげた彼女ははにかむように笑みを浮かべていた。曇っていたはずの宝石がきらりと光り、両肩を露にしたシンプルなドレスにとてもよく合っていた。
         背筋を伸ばして椅子に腰かけた彼女は、さっきまで他愛ないおしゃべりをしていた姉とは別人なんだと思った。窓の外では温かい雨が音もなく降り注いでいる。もうすぐ春が来る。

        * ついったより 修正・加筆

        JUGEMテーマ:小説/詩



        0

          | 一話完結 | comments(0) |

          生痕化石

           海際にある黄土色の岩棚を歩く。ところどころ濡れていて足を滑らせそうになる。小さな潮溜まりを覗きこむと、わずかな水にすがりつくようにして海草や巻貝たちが生きている。遠くからは平らに見えるこの岩棚は、人工物ではなく一枚の地層らしい。表面には灰色がかった蛇が何匹もうねりくねっている。そのうちの一匹の膨らんだ腹を、分厚い靴で踏みつけてみると、意外にも固かった。
          「こういう形の岩なんだ。生き物の巣や這った跡が化石になったものなんだよ」と父は言った。「君が生きて死んで生きて死んで、何万回もそれが繰り返されるくらい途方もない時間をかけて固まったんだ」
          「父さんなら固まるところ見れる?」
          「どうだろう。耐久年数が長くないから、故障して交換してを繰り返すだろうね」
           ゆっくり首を回してメット越しに景色を眺める。空は澄んでいてどこまでも遠く、岩棚の端で波が砕けて飛沫を上げている。強めの潮風がちぎれた雲を運び、傾いだ松林を撫でていく。私は、シェル・スーツに覆われた太い腕を振ったり、足で水を蹴って遊んだりした。
          「ねえ父さん」
          「なんだい?」
          「私の生きた痕跡は残るのかな」
          「もちろん、残るよ」
          「でも誰にも見つからない痕跡は、残っていないのと同じじゃないのかな」
          「じゃあ私が見つけよう」
          「見つけられないよ。父さんは全部記録しているんだから」
           フィルタリングされた波音を聞きながら、父が教えてくれた百年前の歌を口ずさむ。日が傾き、じわじわと海面が上昇する。
          「そろそろ時間だ」
          「これからどうするの? あのボート燃料切れてるんでしょ?」
          「大丈夫、船着き場で補充できる。やりかたを教えよう」
          「父さんがやればいいのに」
          「私にできるのはボートを運転することくらいさ」
          「戻ったらまた探すの?」
          「そうだね」
           転ばないよう注意しながら岩棚を後にする。
           おそらくここには、父がまだ柔らかかった頃の大切な思い出があるのだろう。記録と化し、二度と思い出されることのない記憶。私はその痕跡を見つけることができなかった。
           いつかまたここを訪れよう。その時は、この分厚い殻を破って、足の裏で直に岩に触れてみたい。体を覆う小さな潮溜まりから飛び出し、海の温度を感じたい。生き物たちの匂いを嗅いで潮風に髪をなびかせたい。私の隣には誰かがいるのだろうか。いまだ父に見つけられていない誰かが。
           振り返ると岩棚は完全に沈み、太陽もゆっくり海に落ちようとしていた。

          JUGEMテーマ:小説/詩


          *

          短編第158期 投稿 1000字(一部修正)
          0

            | 一話完結 | comments(0) |

            交換

             リノリウムの床の上を四つの裸足が進んでいく。手を繋いで歩く二人の少女。整った顔立ちも、薄茶色の長い髪と白磁のような肌、さらに背丈も同じくらいで、揃いの白いワンピースを身につけている。
             彼女たちが暮らす四階建ての城は細長い。その最上階の長い廊下は、朝、青みがかった影で満たされる。散らばった窓ガラスの破片が透き通った空を反射しており、二人の白い足がバラバラになった空に浮いているように見える。足の下でぱきんぱきんと音がして、二人はくすぐったそうに笑う。窓の反対側に並ぶ部屋には、四角い机が整然と並べられていて、昼間はときどき、うっすらとしたひとがたが椅子に腰かけていることがある。
             最上階の東の端に、二人が植物園と呼んでいる部屋があった。中では鉢に植えられたいくつもの草木がひしめき合っている。少女たちはここに住み始めてから一度も水をやったことがないのに、鉢植えはいっこうに枯れる気配がない。
             少女たちは植物園の隣の階段を一段抜かしで上っていく。屋上へ続く途中の踊り場は、二人のお気に入りの場所のひとつだ。踊り場の次の段に腰かけて、ガラスのはまっていない大きな窓から朝の世界を眺める。城の前に広がる砂だらけの庭、敷地の端にある濁った池、道路でひっくり返っている車、どこまでも続く崩れた建物。今日は珍しくどこも燃えていない。鳥たちの鳴き声があたりに響きわたる。

            「朝日」
            「東から昇る太陽、またはその光。飛行機雲」
            「飛行機の翼の後ろにできる雲。モノグラム」
            「二つか三つのアルファベットを組み合わせた記号。無機質」
            「生物を構成する有機質以外の元素、転じて温かみが感じられないこと」
            「あーちゃんは無機物?」
            「うーちゃんは有機物?」
            「わからないね」
            「わからない」

             二人の少女はお互いの言葉を確かめるように頷き、微笑み合う。

            「月見団子」
            「十五夜に月に供える団子のこと」
             月見という風習の失われた世界で、うーちゃんと呼ばれた少女が答える。
            「語彙」
            「言語、地域、ひと、作品などの単位で使用される単語の総体、もしくはそれをまとめた書物」
             語彙を均等化するように、あーちゃんと呼ばれた少女が答える。
            「イデア」
            「プラトン哲学の根幹をなす概念で、肉眼で見る形ではなくものごとの真の姿、ものごとの原型を意味する。それぞれの存在が何であるか、に対する、まさにそれであるところのそのもの」

             それから二人はおもむろに白い腕を伸ばし、左手の親指と人差し指を、お互いの右目の縁に差しこんだ。瞼が大きく開かれ、透き通った硝子玉のような眼球が取り出される。

            「あめ玉」
             一人が口を開き、赤い舌の上に眼球をそっとのせた。
            「丸い」
             もう一人も同じように口に含み、舌の上でころころと転がす。
             二人はお互いの眼球を舌で弄びながら、同時に弄ばれる感触を楽しんでいるかのように、くすくすと笑い合う。

            JUGEMテーマ:小説/詩


            * タグ:#眼球交換百合
            0

              | 一話完結 | comments(0) |

              傾く

               数人で友達の家に遊びに来ていた。古い和風の家で、昔に泊まった民宿を思い出す。友人の部屋は二階だった。廊下も階段も部屋も灯りはついておらず、窓から曇り空が見え、昼間であるにも関わらず暗く湿っぽい。
               どういう経緯かうろ覚えだが、外に出ようという段になって友人がなくしものをしたから探してほしいと言った。家の中を探し回り、さっきまで閉めきられていた、友人の部屋の隣の部屋に入った。そこにあるはずがなかったが、ぼろぼろとささくれだった畳の上に、黒い折りたたみ傘のようなものが無造作に置かれているのを見つけ、これだ、と拾い上げた。
               その瞬間、鋭い痛みが指先に走った。見ると折りたたみ傘から針が飛び出している。これはなんだろう。でもともかく見つけたんだからと、部屋を出ようとするが体が動かない。友人を呼ぼうとしても声も出せない。視界がゆっくりと横に傾き、自分がその場に倒れたことを知った。頬に刺さるい草の感触はおろか、指先の痛みも感じられなくなっていた。
               私はいつの間にか眠っていたらしかった。まだ横になったままで、傾いた窓の外が暗い。体は動かず感覚もなく思考も緩慢だ。一人の男が視界に入る。薄くて着古された白いTシャツを着て、右手にギプスを巻いていた。友人の家族だろうか? 兄にしては年が離れているように思うが、そもそも何歳なのかよくわからない。おい気づいたか、と彼は無表情で言う。
               起きれるか、起きれんわなあ、痛いか、痛くないだろ? なあ。
               無表情のまま冷たい目が私を観察し続けている。ふいに視界が揺れ、暗転する。
               目が覚めると、私はまだ部屋に転がっている。体は動かず感覚もなく思考も緩慢だ。男が部屋に入ってくる。視界が激しく動き、蹴られたのだと私は悟る。
               痛いか? 痛くないだろ? 男は無表情で言う。指先に針を刺される。腹減ったか? パン置いといたのに食わんなお前。食えんのか? 視界が揺れ、暗転。
               目が覚め、私はまだ部屋に転がっている。体は動かず感覚もなく思考は緩慢だ。男が視界に入る。
               飯食わんなお前。腹減らんのか? 衰弱死するぞ。苦しくないんか? 苦しくないよなあ。
               蹴られる。
               死ぬぞお前。死んだら死亡判定してもらわなかんな。衰弱死な。
               彼は無表情で喋り私を殴る。ああ、これは死ぬな、と私は思った。

              JUGEMテーマ:

              JUGEMテーマ:小説/詩


              * ついったより。修正、加筆。
              0

                | 一話完結 | comments(0) |

                ヘルシンキ・ペンギン・ナイト

                 かの地を訪れたスティーブンと私は、古めのデザインホテルにチェックインした。まだ明るい夜の十時に近くのバーで軽く二杯引っかける。サーモンが美味だ。遠くからロックミュージックが聞こえ、通りはいつまでも賑わっている。「彼らは眠らないのかね」ウィスキーを片手に隣のスティーブンを見やる。「冬の反動だろ。夏は毎日お祭りさ」と彼は笑う。「何せここは、携帯電話投げ世界選手権大会なんてものが開かれる国だからな」
                 ホテルに戻ると相棒が酒を抜こうと言いだした。促されるまま、着替えと炭酸水入りのペットボトルを持ってエレベータで一階に下り、一角の黒い扉に向かう。扉には「SAUNA」と書かれたプレートが下がっている。「BAGGAGE ROOM」と大差ない標識に、本当にこの先にそんなものが? と首を傾げたくなる。開けると関係者用にしか見えない通路が地下へと続いている。暗いわけではないが、人気がなくてホラー映画のワンシーンのようだった。スティーブンはずかずかと先に進んでいく。
                 通路の先の重いドアを開けると、そこにはプールがあり、旅行者とおぼしきロシア系の太った女性が水着で泳いでいた。荷物をロッカーに入れる。男性のマークのついた扉は小屋を意識しているのか木製だ。湿気と汗の臭い。ロシア人の若者が二人、水着姿でウォッカトニックの缶を持って先に入っていった。「あれは邪道だ」とスティーブンがぼやく。確かに、水着の着用禁止、と書かれたプレートが壁にかかっていた。
                 腰にタオルを巻いて次の扉を開けると、ムッとした熱気がまとわりついてきた。中は暗い。入って扉を閉め、木の段を上って腰かける。先客は三人で、ウォッカトニックを煽りながらふうふう言っている例の若者二人と、隅で背筋をぴんと伸ばして、まるで彫像のように微動だにしないアジア人が一人。
                 ロシア人のうちの一人がバケツから水を撒くと、ジュワアという恐ろしい音がして、部屋に熱気が充満した。
                「あれはなんだ」
                「ロウリュさ。焼けた石に水をかけて蒸気を発生させ、温度を上げる。鼻で息をしないと内臓がやられるぞ」
                 スティーブンは冗談めかして囁くが、目は鋭くロシア人たちを睨めつけている。強い熱気に瞬きをしながら耐えていると、若者たちはバタバタと慌ただしく外へ出ていき、室内に静寂が訪れた。
                 アジア人を見ると、目を閉じて瞑想をしているようだった。日本人かもしれない。その姿勢がサムライを連想させるし、詳しくは知らないが、彼らの国には「ゼン」という精神があると聞いた。彼にとってはこれも精神を研鑽するための修行なのかもしれない。
                 やがて温度が落ち着いてきて、スティーブンがバケツのそばに移動した。アジア人に向かって「きつくないか?」と尋ねる。彼は、今は平気だけど、マイルドが好みだ、というようなことを、たどたどしい英語で言った。スティーブンは少しだけロウリュする。それをきっかけに会話が始まり、相手が予想通り日本人であること、旅行中であることを知った。
                「せっかくだから、本場のサウナを体験したかったんだ」と彼は苦笑いした。ホテルじゃ難しいかもな、とスティーブンは皮肉をこめて笑い返した。
                「本場と言うなら、ヴィヒタもほしい」
                「ヴィヒタ?」
                「白樺の葉で、体を叩いてマッサージする。白樺と言えば、フィンランドはキシリトールも有名なんだ。キシリトールはカバの木から作られる」
                 和やかな雰囲気に水を差すように、きい、と小さな音がして扉が開いた。私は最初、さっきの若者たちが戻ってきたかと思った。しかし戸口に立っていたのは、もっと背が低く、黒と白の毛に覆われた、愛らしい生き物であった。
                 私は目を見張った。スティーブンや日本人も、何も言わずそいつをじっと見ている。そいつは六つの瞳に見守られながらペタペタと室内に入ってくると、自分の背丈ほどもある木の足場に、ぴょん、と跳び乗った。私たちを順番に見やり、嘴をぱくぱく動かしてから、がー、と鳴く。
                 どう見てもペンギンだった。
                 スティーブンがようやく口を開く。
                「おい、ここはいつから動物園になったんだ?」
                 返事をするように扉が音をたて、またしてもペンギンが顔を覗かせる。ずらりと整列し、続々と室内に入ってくる。
                「これは夢か?」
                「お前ら、念のため言っておくが、サウナはフンも禁止だからな」
                 瞬く間に室内はペンギンでいっぱいになった。全部で一ダースはいるだろうか。マナーは心得ているのか、時折がー、とか、げっげっ、とか鳴き声を上げるだけで、意外とおとなしい。ただ、そこはかとなく魚臭い。
                 私たちが途方に暮れていると、一ダースの中の一羽が、遠慮がちにスティーブンの脚をつついた。黒い羽で、バケツを指し示してくる。ロウリュしてくれと言っているらしい。
                「マジかよ……」
                 スティーブンはしぶしぶバケツの水を石にかけた。蒸気が立ち上ぼり、熱気が充満していく。ペンギンたちは首を縮こめ、くー、と鳴いたりしている。
                 私たちはそのとき、重大なことを見落としていたのだ。ペンギンには汗腺がないということを。おかげで私とスティーブン、及び日本人のケンイケダは、めいめい両脇に二羽ずつ、合計四羽のペンギンを抱え、タオル一枚の格好で外に飛び出すはめになった。ぐったりとした彼らをミサイルよろしく次々にプールに投げ入れ、驚いたロシア人女性が悲鳴を上げ、ホテルの地下は大変な騒ぎとなった。やがてホテルのスタッフが現れ、何の罪もない私たちを取り押さえた。
                 結果、私たちはなぜか動物を持ち込んだ責任を取らされ、一ダースのペンギンと共にホテルから放り出されたのであった。
                 まだ明るい夜中の0時、ヘルシンキの街中で茫然と立ち尽くしながら、ケンの呟いた日本語が私の耳に残って離れなかった。
                 彼は確かにこう言ったのだ、"Penguin Wo Monsieur Kikai" と。

                JUGEMテーマ:小説/詩


                * 『ペンギンを蒸す機械』アンソロジー 参加作品(参考リンク 1 2
                * 笹帽子さん『ペンギンを蒸す機械』
                * 参考サイト:
                Wikipedia - サウナ風呂
                本物のフィンランドサウナの楽しみ方(PDF)
                Wikipedia - フィンランドの文化 - 奇妙な世界大会
                0

                  | 一話完結 | comments(0) |

                  黒死少女は桜の夢を見るか

                   白いかけらが散っている。真ん中が崩れて落ちた橋を横目に、川沿いの並木道を歩いていく。フェンスは錆びて曲がり、岸ごとなくなっている箇所もある。無数の花をたたえた木々も、あちこちで傾いだり、流されていたりする。そんななかで異彩を放つ一本に、私は近づいていく。
                   その木は満開の花々に囲まれながら一つも花をつけていなかった。枝や幹は黒く変色し、木というよりは鈍い金属やプラスチックの質感を有していて、触るとつるつると滑った。
                   私はその木の前に立ち、根本のあたりを見下ろす。

                   冬の終わりに、友だちをここに埋めた。
                   これでもう、三度目だった。

                   少し冷えた風が吹いて、花びらが舞った。黄色い菜の花が揺れる。どこかで小鳥が鳴いている。
                   生命はなぜこんなにも美しいのだろう。
                   崩れた橋や折れ曲がったフェンスと同じ、背景の一部になって、私はそれらを見ていた。

                   みしり。

                   木が軋む。足元の土が盛り上がり、黒い腕が勢いよく突き出す。半分埋もれた顔が覗く。ギザギザの歯を見せて笑う、真っ黒な顔。
                   ばきばきと音を立て、彼女は土から這い出てきた。おかしな方向に曲がった足と腕を動かし、大きく伸びをする。姿勢が戻ると、すべて元通りになっていた。
                  「久しぶり」と彼女。
                  「楽しかった?」と私は尋ねた。
                  「暇だった」
                  「私もだ」
                  「気が合うね」
                  「なんで、埋まる?」
                   今年で三度目だった。彼女に、埋めてくれと頼まれたのは。唯一の話し相手が土の下にいるあいだ、私はずっと、理由を尋ねようと思っていた。
                  「死んでるから。死体は、桜の根本に埋まるものだから」
                   彼女は、ひときわ嬉しそうな顔をした。
                  「私も埋まったほうがいいのか?」
                   一瞬、目を見開いて、ふきだす。ひとしきり笑ったあとで、「そうだね、半分くらい?」と言って、自分の台詞がおかしかったのか、また笑う。
                   彼女は目まぐるしく変化する。笑っていたと思ったら、ふいに黙って、散る花びらを眺め、目を細めている。
                   彼女はなぜこんなにも美しいのだろう。
                   疑問は尽きない。

                  JUGEMテーマ:小説/詩



                  * ついったより。#桜埋めのタグに惹かれて。
                  0

                    | 一話完結 | comments(0) |

                    熊の手

                     体育でバスケをやっているとき、熊谷さんが倒れた。左胸を押さえてうずくまっている。パスを受けきれずにボールが当たったらしく、顔が真っ青だった。先生に指示されて、私が保健室へつれていくことになった。
                    「大丈夫?」と尋ねると、熊谷さんは苦しそうに笑みを返した。クラスメイトだけどあまり話したことはなくて、ふんわりした口調でかわいらしい、背が高くてスタイルがいい、というか胸がでかい、いいなあ分けてほしい、みたいな印象だった。こんなときでも、彼女の豊かな胸と自分のまな板を比べて、心の内でため息をついてしまう。
                     彼女はその大きな胸を押さえて、足早に歩く。なんでそんなに焦ってるんだろう。手を貸そうとしても大丈夫だからの一点張りで、あれ、私もしかして避けられてるんだろうか。ちょっとショックだ。

                     保健室に入ると、先生はいなかった。とりあえず熊谷さんを座らせて、職員室に見に行こうかな、としたその時。
                     あっ! という彼女の悲鳴と共に、体操着の下からぽとりと落ちたのは、手首のところで細くちぎれた、手だった。
                     熊谷さんは、真っ白な顔をして、肩を小さく震わせていた。左の胸が強く押さえられて潰れてしまっている、というか、右側と大きさが明らかに違っていた。胸を押さえる両手よりひとまわり小さな、床の上の三本目の手。
                     事態がうまく飲みこめなくて、「これなに、手?」と思わず口走る。すると熊谷さんは目に涙をためて、
                    「誰にも言わないで、お願い」
                    と言った。迷子の子犬みたいな不安げな表情で。わけがわからないまま、うん、と頷くと、彼女はぼろぼろ泣き出してしまった。
                     うわあ、ちょっと、よくわからないんだけど、これって私が泣かせたの、ね、泣かないでよ熊谷さん。私はあわあわしながら熊谷さんの頭を撫でた。つやつやの長い髪は、とてもさわり心地がよかった。
                     熊谷さんは私に撫でられ、しゃくりあげながら話してくれた。
                     なにやら彼女は、肩まわりから手が生えてくる体質らしい。最初は小さいけど、最終的には自分の手と同じくらいになるということ。春秋が特に多くて、夏冬は少ない。生えてきたら、大きくなっても困るから、たいていは小さいうちにハサミでちょきんと切るということ。水分不足になったり、強い衝撃を与えると落ちてしまうということ。
                     あれ、と私は思う。じゃ、この手が取れちゃったのは、胸にボールが当たったからで。つまりこの手で胸を盛っていたと、そういうこと? ずるい! 本当は熊谷さんも私と一緒なのに、巨乳のふりして!
                     熊谷さんはきょとんとして私を見上げていたけれど、何がおかしいのか、泣き顔のままでくすくすと笑う。
                    「ひどいよ、私、今までずっと熊谷さん大きくていいなあって思ってたんだよ?」と言うと、「えへへ、ごめん」とまた笑った。

                    「クマドウジって知ってる?」と彼女が尋ねる。多肉植物で、葉にはふわふわした産毛が生えていて、先のトゲが爪みたいに見える。名前は知らなかったけれど、雑貨屋さんの園芸コーナーで見たことがあった。小さな鉢に植えられて、かわいい熊の手が対になって生えているのを。
                    「生え始めの小さい手がそれにそっくりなんだ」
                    「え、かわいい、見たい」と言ってしまってから、引かれないか心配になって、ごめん、嫌ならいいから、とつけ足す。
                     熊谷さんは少し悩んでから、小さな声で、いいよと言った。
                     体操着の首のところを引っ張って、肩を見せる。背中側、ちょうどブラ紐に隠れるようにして、目立たない肌色の絆創膏が貼られていた。ぺりっとはがすと、小指の先くらいの肉片がくっついている。四本の切れ目が入っていて、確かに小さな動物の足みたいに見える。
                     かわいい、と言うと熊谷さんは、「でもやっぱり変だよ、自分でもちょっと気持ち悪いし」と悲しそうな顔をする。
                    「そんなことないよ、変じゃないよ」
                     熊谷さんは、ありがと、と寂しげに笑って、内緒ね、と囁いた。
                     それから落ちている手を拾い上げて、頬を赤らめながら、これ戻すね、とベッドのカーテンの向こうに隠れた。

                     そのあと保健室の先生が来て、私は授業に戻るようにと言われた。体育館へ向かう途中で、熊谷さんの表情を思い出す。
                     本当は、かわいいじゃなくて、きれいって言いたかった。あの小さな手が大きくなったら、羽みたいだなと思った。でもそれは私の一方的な感覚で、そういう言葉の押しつけが、彼女にとっては寂しいものなんじゃないかと思って、やめた。
                     熊谷さんかわいかったな、という気持ちと、秘密を知ってしまった後ろめたさが一緒になって、もやもやする。フェアじゃないなあ、とか、これでいきなり話しかけたら迷惑だったりするのかな、とか。でもやっぱり、また話したい。とりあえず保健室から戻ってきたら声をかけよう、そう思った。

                    JUGEMテーマ:小説/詩
                    0

                      | 一話完結 | comments(0) |
                           2 3 4 5  next>>    last>|