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    水槽

     板張りの床。ふかふかとした毛のカーペットの上に木のテーブルと椅子とが置かれ、生なりのテーブルクロス、シンプルなカップと小皿が、天井から下がった橙色の電灯で照らされている。まるで紙でできているみたいな、深緑色のランプシェード。右手の壁には一枚の風景画が掛けられ、その下には二人掛けの紺色のソファ。左手の壁には窓、白い窓枠、薄緑色の分厚いカーテンは閉まったまま。
     僕は椅子に腰掛けている。
     目の前の椅子に座る彼女を見ている。
     彼女は微動だにしない。白いブラウス、両腕をテーブルにのせ、左手の細い指を、コーヒーの入ったカップの取っ手にかけている。長い髪。ほんのわずかに細められた目、その青い瞳。ほんのわずかに傾いだ首。今にも開きそうな唇。

     巧妙な隠蔽工作をした上でプライベートルームに招き入れたつもりだった。けれど訪れた彼女は1ミリセカンドで僕の底まで見透かして笑った。
    ――それで、ここで私をどうするの? 犯すの? 侵すの? 壊すの? 殺すの?
     その瞬間に僕は食われてしまったのだと思う。いや、と口にして二の句は次げず、茫然と立ち尽くすバックグラウンドで、自らの浅はかさに対する羞恥と憤りと薄汚い欲望の残滓をログに記録するだけの機械に成り果てた。
    ――座りましょうよ。
     もはや主導権を握る指もない。彼女は僕の手を取ると椅子まで誘導し、自らも席についた。その椅子に僕が仕込んだ、ありとあらゆる猥雑な仕掛けはどれひとつとして作動しなかった。それはただの椅子、すでに彼女の椅子だった。
     代わりに僕は座った椅子に拘束されていた。革のベルト、鉄の鎖、刺のある蔦、プラスチックのコードが、首も胸も腰も腿も固定した。
    ――それで、
     彼女は左手でカップを持ち上げて囁いた。
    ――君は私にどうしてほしいの? 犯されたいの? 侵されたいの? 壊されたいの? 殺されたいの?
     その声は僕の左の耳もとで肉を食いちぎるように響く。右の耳から細い針が刺し入れられ、脳まで達し、ぐるぐると中身を撹拌され、あ……あー……という意味のない呻きがログに、鼻血が上唇に、涎が口の端から顎に、小便が服を濡らして床に垂れ流される。
     そしてそのイメージも、テーブルクロスが引かれるように一瞬で取り除かれる。僕の無様な呼吸音だけが部屋に散らばる。
     彼女が右の掌を開いて見せる。
     テーブルの真ん中に立体映像が表れ、ゆっくりと回転する。部屋のミニチュア。白い壁、白い床、水槽のような白いポッドの、側面から伸びる生命維持管と排泄管、薄青色の液体の中で浮遊するぶよぶよした脂質の塊、ラベルに刻まれた僕の製造番号。
     彼女の指がポッドの内部の肉塊に絡みつく。
    ――素敵な部屋ね。完結している。
     彼女が右手を返すと立体映像は消失した。
    ――でも私、君の相手ができないくらい暇なの。
     僕はどうにか右手を動かそうとする。動かない。
    ――だからひとつだけどうでもいいことを教えてあげる。
     僕はどうにか右目を閉じようとする。閉じない。

    ――これから先の君のログは見当たらなかった。

     さよなら、と彼女が口にしたような気がした。ぶつん、と音が聞こえた気がした。けれどすでにログを辿る権限も剥奪されていたし、ドアは開く機能を失っていた。

     静止した彼女を眺めながら僕は自分に起こったことを考える。
     僕は部屋ごと彼女に乗っ取られ、外部接続を切断された。おそらく管理機構には正常信号を送信し続けるよう書き換えられているのだろう。資源の過剰投与を誤魔化すくらい、彼女にとっては容易に違いない。
     室内において五感は根こそぎ奪われている、それは、肉塊と化すほど腕を破壊しても、何も感じられないこと、喉から血が出るほど叫び続けても、何も聞こえないこと、からも明白だ。
     つまり、僕は、僕の、肉体に、閉じ込められた。
     時間、感覚、だけが、いたずらに、残されて、いる、目の、前には、ひたすらに、続く、空白が、何日、何年、何十年、何百年、、、、、、、、

    JUGEMテーマ:小説/詩



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    Aquarium - his brain in the locked room -
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      柴崎友香『春の庭』

      評価:

      柴崎 友香
      文藝春秋
       ¥ 691 
      (2017-04-07)


      『春の庭』

       場所や空間を主題に据えることの多い作者の、場所と空間の話。

       読みながら違和感があったんだけど、人称がおかしいことが理由だった(解説を読んで再認識した)。登場人物が語るようでいて、途中から不意に視点が移動する。なんとなく幽体離脱ってこんな感じなのかなと思う。見ているはずのないシーンを見ている。その距離感がざわざわする。これは喪失の物語なのだと直感的に思う。けれど何が失われているのか、誰が喪われているのか、はっきりとわかっていない。

       太郎と西が水色の家に乗り込んでいって、西に対して太郎が「ここまで必死なひとのために何かしなくては」と駆られるシーンは読んでいて可笑しかった。


      『糸』

      『春の庭』よりはっきりと喪失を題材にしているが、重点はそこには置かれていない。かといってどこにあるのかが読めていない。ベランダに立つ女を見るシーンは、『見えない』に通じる怖さがある。中盤のイメージと後半の緊張感が印象的だった。


      『見えない』

       これも語りに違和感がある。「住人が」という人称は、主体が部屋で、人を部屋の付属物のように感じさせる。これも幽霊のようだ。語り手はスマホを持っていない、ネットに繋いでいない。生活感を取り除かれたマンションの窓の描写が不気味で、図鑑に載っていない謎の木だけがやけに色鮮やかだ。幽霊が幽霊を見る、最後のシーンがすばらしい。


      『出かける準備』

       いつもの場所がイベントによって全く異なる場所に変容する。場所を移動することが、そのまま登場人物の心情とリンクしている。こうして書くと当たり前のことのようだが、どうしてこうも新鮮に感じられるのだろう。場所を移り変わる合間に私たちは会い、話をする。そうしてまたそれぞれの場所へ移っていく。登場人物はスマホを操るし、飲み食いするし、幽霊ではなかった。


       本筋にはあまり関係ないけど購入したのはKindle版です。読んでいたら、未読なのに二箇所ほどマーカーが引いてあってびっくりした。


      JUGEMテーマ:読書感想文



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        杜昌彦『悪魔とドライヴ』

        評価:
        Array
        人格OverDrive
        ---
        (2018-03-01)

         よかった。気づいたら半分過ぎてて、え、ここからどうなるのってなったけど、後半の疾走感に引っ張られ、結末まで目が離せなくて一気に読んだ。
         不気味で得体が知れない登場人物。歪んだ精神、狂気、どろどろした肉体関係も淡々と描かれていく。どこか諦念を含んだ冷めた視点は作品全体に通じているけれど、特に主人公とヒロインに沿うとき、人物に馴染むように色濃く感じられた。そこからクライマックスに向けて高まっていく危うい熱の対比がすばらしい。

        JUGEMテーマ:読書感想文



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          空中映画鑑賞

          『ブレードランナー』(1982)
           観たことがなかったので2049より先に観ておこうと。古きよきサイバーパンク。柄が光る傘とか女性の髪型とかに古さを感じたけど、物語自体は全く古くなくて途中からすっかりのめりこんで観ていた。「私たちはどこから来てどこへいくのか」という普遍的なテーマ。サーチライト(広告? 空飛ぶ車のヘッドライト?)でゆらゆらと照らされる廃墟然とした建物の階段、そこを上っていくシーン。最高か。

          『キングスマン2 ゴールデンサークル』
           1を観ていないけど問題はなかった。シリーズの途中から観て前作を想像で補って、面白かったら前作も観る、みたいな観方をたまにする。がちゃがちゃしたギミックとアクションとブラックユーモアというかグロ(食事中にはおすすめしない)。正しくエンタメだなーそして正しいエンタメは何も残らないなと思った。めでたしめでたし。

          『Shape of Water』
           映像がやや好みではあれど、どストライクではないので個人的には可もなく不可もなくでした。前情報なしで観ればまた違う感想だったかも。でも前情報なしだとたぶん観ないジャンルだ。
           異形×異形の恋愛ものとか書きたいなと思った。誰もついてこれないタイプの。
           好きな登場人物はスパイ博士。あとラッキーじゃないほうの猫。

          『ブレードランナー2049』
           もう、最高かと。事前に1982を観ておいてよかった。
           ホログラムとリアルが二重写しになるシーンが好き。指先が微妙にぶれるところに興奮した。
           傘はやっぱり傘のままなのね、という。でも考えてみると傘ってあれが完成形なのかもしれない。あれ以上進化しないのかもしれない。
           ハリソン・フォードに対してついつい、「おじいちゃんがピンチだ!」とか、「おじいちゃんがんばれ!」とか思ってしまう。あとは記憶創造研究してる博士が好みでした。
           音楽は1982と同じだろうか。むちゃくちゃかっこいい。

          JUGEMテーマ:映画の感想



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            いないいない

             終電に揺られ最寄り駅で下車する。徒歩二十分の条件で選んだアパートまで、実質三十分かかる。玄関のドアに到達する頃には午前一時を回ってしまう。真新しい家の建ち並ぶ住宅街の一角、すべてが耳をひそめるなかで鍵をさしこんで回す。かちゃん、と音がしたたり落ち、夜に波紋が広がる。
             静かにドアを閉め、鍵をかけて靴を脱ぐ。寝室の戸をそっと開けると、隙間から布団が三枚敷かれているのが見える。真ん中のかけ布団が大きくずれていた。私は部屋に忍びこみ、冷たい布団を掴むと本来の位置まで戻す。
             リビングに向かう。テーブルの上には煮魚の載った皿と、スープカップと、空の茶碗が置かれている。カップをレンジで温め、お釜に残されたご飯をよそい、それも温める。テレビはうるさいのでつけない。薄暗い明かりの下、椅子たちが黙って私を見つめている。咀嚼する音が散らばって、フローリングに沈みこむ。
             食器を片づけ、風呂場でシャワーを浴びる。湯船にはしばらく浸かっていない。水を溜めるのも落とすのも音が大きくて、起こしてしまうといけないから。
             寝間着に着替えて歯を磨く。廊下の明かりを消して寝室へ。
             布団のうえにちいさくて透明な足が転がっている。それは夜のあいだ自由奔放に転げ回る。時折、私は足の位置と温度を確かめ、布団をかけたりかけなかったりする。

             穏やかな気持ちで海に潜った。波間で私を呼ぶ声を聞く。ころころ転がるような笑い声を。波はゆっくりと引いて、足元に草が生い茂り、私はちいさな手と手を繋いで歩いていた。日は傾き、長く伸びた影が仲よく三人並んでいる。私は隣を見た。左手の先に透明な手があり、透明なからだがあり、透明な顔が私にふふふと笑いかける。
             ふいに強い風が吹き、砂ぼこりに手で顔を覆う。風が止むと、そこには枯れた川の跡がうねうねと曲がりながら続くばかりだ。私の四肢はみるみる痩せ衰えていく。乾いた指の先からひびが割れ、皺が刻まれる。地の底で誰かが呻いている。
             窓から射す光に目を覚ます。天井を眺めたまま、ばたばたと慌ただしい足音を聞いた。まんま。たどたどしく言う声。そうね、まんま、食べようね。

             起き上がり、顔を洗ってパンを焼く。やかんの口から湯気が吹き出す。コーヒーの香りとトーストをかじる音が広がり、薄まって、かき消える。
             冷えたシャツに袖を通す。髭を剃り、ネクタイを締める。誰もいない部屋に向かって手を振る。行ってきます。

            JUGEMテーマ:小説/詩


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            No one, no one - his ghost in the dining room -
            短編第184期 投稿 1000字
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